横浜市中区元町の整体 カイロプラクティックCura(クーラ) パパクーラの世界

横浜元町カイロプラクティックCura(クーラ)の日記。パパとママで書いてます。症例、健康、食べ物、行った場所などなど。

坂口安吾

坂口安吾「風博士」

なんだかよく分からない短編。
最後に風博士の正体は分かるのですが。

ただテンポがよく、講談みたいな口調で、なんか可笑しい。

バナナの皮で滑って転ぶという発想は、もうこの頃にはあったようですね。

これって、誰が始めにやり出したんでしょうか?


青空文庫より


by カイロプラクティックCura

坂口安吾「風と光と二十の私と」

安吾さんの二十歳の頃の教員時代を描いた作。

大正十四年の頃って、小学生もこんな風だったのかと面白い。

「本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。子供はみんな可愛いいものだが、本当の美しい魂は悪い子供がもっているので、あたたかい思いや郷愁をもっている。こういう子供に無理に頭の痛くなる勉強を強いることはないので、その温い心や郷愁の念を心棒に強く生きさせるような性格を育ててやる方がいい・・・・・」

という件には、安吾さんの優しさがはっきり出ています。

「小学校の先生には道徳観の奇怪な顛倒がある。つまり教育者というものは・・・
・・・先生達が人間世界を悪く汚く解釈妄想しすぎているので、私は驚いたものであった。」

という所なんか、今はどうなんだろうと、詳しい人に訊いてみたい。

「私がいちばん心配なのは、あの娘は、人に愛される素質がすくない。女として愛される素質がすくない。ひねくれのせいではないのです。あの娘は人に愛されたことがないのではありませんか。先ず親に、あなた方に愛されたことがないのではありませんか。私に説教してくれなんて、とんでもないお門違いですよ。あなたが、あなたの胸にきいてごらんなさい。」

二十歳で保護者にここまではっきり言えるとは、時代なのか、安吾さんだからなのか。

「大人と違うのは、正しい勇気の分量が多いという点だけだ。ずるさは仕方がない。ずるさが悪徳ではないので、同時に存している正しい勇気を失うことがいけないのだと私は思った。」

なるほど仰るとおりです。まさに大人の言葉ですね。


青空文庫より


by カイロプラクティックCura

坂口安吾「文学のふるさと」

先日「桜の森の満開の下」を読んだ流れで、またまた安吾さんです。

安吾さんは「生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独」を、人間の「ふるさと」だと言っています。

モラルなどを取っ払って残った純粋なものなのでしょう。

そして「このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。」とも言っています。
つまり、文学には「絶対の孤独」(純粋な部分)の意識・自覚がなければならないということです。

「桜の森の満開の下」はこの論そのままの作品でしたから、いっしょに読むと分かりやすいです。

孤独は「むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一(ゆいいつ)の救いなのであります。
モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。」

ということなのですが、「桜の森の満開の下」を読んで感じたように、孤独は相手が居てはじめて感じるわけで、

同様に「救いがない」というのは「救い」があるから感じられる、「モラルがない」も「モラル」が存在するから分かるということなんでしょうか。

とするなら、逆もまた然り。
「文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。」
つまり「文学のモラル・社会性」は「絶対の孤独」という相手になるものがあるから存在できるものだということなのでしょう。

なるほど。
これが安吾さんの基準だったんですね。

青空文庫より


by カイロプラクティックCura

坂口安吾「桜の森の満開の下」

有名な幻想文学なんだそうです。

山に住む無慈悲な賊の男が、美しい女を手に入れる。女はこの男に他のの妻達を殺させ、都に住んでは、そこでも男に人を殺させて、その首で遊ぶ。
山に帰りたくなった男は、帰る時に、桜の下で女を殺してしまう。

冒頭で安吾さんは「大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。」とおっしゃっています。
が、その理由は書いてません。なんとも得体の知れない恐ろしさ。

主人公の山賊の男は、桜の所へ来るたび、女を思い出します。
無邪気な女の残酷な面と、桜が対比させられているようです。

最後に女を殺してしまった時、男は桜への恐怖を感じなくなります。
と同時に失ってしまった女に対する悲しみの感情を抱きます。
というのも、男が恐れていたのは「孤独」だったからでした。

失って初めて、自分が孤独になってしまったと感じる。


桜の木に漠然と孤独を感じるという感覚はなんとなく分かる気がします。

満開の桜と一対一で向き合ったらと想像してみます。


なるほど、孤独とは相手がいてはじめて感じるものだと。しみじみ。

首を刎ねて、それで遊んだりするから幻想文学に入れられてるのでしょうが、ちょっと変えれば現代小説にも出来そうな話でした。


青空文庫より。


by カイロプラクティックCura

坂口安吾「白痴」

 随分昔「堕落論」を読んで、面白かった記憶があり、小説はどうかなと読んでみました。

 う〜ん、なんかこのところダメ男系の小説ばかりに当たっていますが、これもそうでした。

 戦時中、独り身の男の部屋に、隣の白痴の女が入り込んできて、それを欲におぼれて追い出せなくなり、離れられないという話です。

 これ、正直、白痴の女がもっと年食ってて不細工だったら、無い話なんでしょうけど、若くてきれいだからありえなくもない話なんでしょう。

 男が頭の中でいろいろ考えて、きれいごとを並べたり、能書きたれたりしながら、結局それかい!ってな感じです。

 一歩引いて見ると、まあ面白いのかなと思います。

 でも、この方の作品はもしかしたら他のもののほうが面白いのかも知れないので、そのうちまた別のを読んでみようかと思います。

 これも青空文庫からでした。
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